Penny Rimbaud (CRASS founder) interviewed by V. Vale
Pages:184p
Year:2014
RE/Search Publications
V.VALE
@vale_research
Penny Rimbaud
@pennyrimbaudofficial
サウス・ウエスト・ロンドン生まれの詩人、作家、哲学者、画家、音楽家。
ダダイスム、シュルレアリスムへの道を切り開いたフランスの詩人アルチュール・ランボーの姓から取って1977年に名前をペニー・ランボーに変更。
パフォーマンス・アート・グループ「EXIT」と「Ceres Confusion」のメンバーであり、1972年にPhil Russell aka Wally Hopeと共にStonehenge Free Festivalを共同設立しました。
1977年、Steve Ignorantとパンク・バンド「CRASS」を結成しますが、ジョージ・オーウェルの小説のタイトルを意識したと思しき“1984年”に向かってカウントダウンしていき解散します。
その後ペニーは詩、日記、散文を書き、絵を描き、講演をし、詩の朗読や音楽パフォーマンスをヨーロッパ、ロンドン、サンフランシスコのCity Lights BookstoreとEmerald Tabletでも行っています。
日本にもFREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013に"Penny Rimbaud co-founder of CRASS"名義での来日しています。自分もライブを観に行きましたが演劇の様なパフォーマンスでした。
ロンドン郊外の“ダイアルハウス“と呼ばれるコミューンで、パーマカルチャーを軸にした自給自足のライフスタイルを模索する試みは現在も継続中です。
CRASS
@crasswords
無政府主義パンクを意味する「Anarcho-punk」を掲げ、1977年から1984年まで活躍したイギリスの芸術集団CRASS。
「Anarchy & Peace」の理念に基いて活動したそのメッセージは、自分でやれ、責任を持て、自分の人生の主導権は自分にある、自分以外の権威はない。
反戦、反核、フェミニズム、動物愛護、環境保護などについて強力なメッセージを発信し続けました。
しかし手放しの礼賛で対象を崇めたてる行為こそCRASSが一番嫌うことで、思想を共有することに興味はなかったとメンバーは語っています。
日本語のナレーションから始まり日本の伝統音楽もミックスした81年の衝撃のシングル「Nagasaki Nightmare」では、広島の陰に隠れがちな長崎に焦点を当てていました。
そしてDave KingがデザインしたシンボルマークとGee Vaucherのアートワーク、黒ずくめのスタイルは世界中のパンクスに影響を与えました。
PUNKのDIY精神の基礎を確立したレーベルCRASS RECORDSからは、Bjorkが在籍したK.U.K.L.をはじめ、CAPTAIN SENSIBLE(THE DAMNED)、THE MOB、ZOUNDS、CONFLICT、POISON GIRLSといった100組近いアーティストを輩出しています